
「すきゾ!」は2015年に始まって、今年で11年が過ぎた。
11年。
こうやって数字にすると、なんだか急に重みが出てくる。始めた頃の僕に、「11年後もまだやってるよ」と言ったら、たぶん「そんなに続くわけない」と思っただろう。
でも、続いている。
しかも最近になって、僕はようやく「すきゾ!」の運営が、そこまで辛い仕事ではなくなっていることに気づいた。
現在は、僕と2人の副管理人で役割を分担している。
誰かが全部を背負うのではなく、それぞれが出来ることをやる。
たったそれだけのことなのだけれど、これが出来るようになるまでに11年かかった。
コミュニティを長く続けるうえで大事なのは、たぶん「どれだけ頑張れるか」ではなく、「どれだけ頑張らなくても回る状態を作れるか」なのだと思う。
ただ、そこまで持っていくまでが、とんでもなく大変だった。
11年間、時給10円以下のフルタイム労働をしているような感覚だったし、それでも足りないお金は自分で出してきた。
普通に仕事をしている人が、仕事が終わったあとにこれをやろうと思っても、なかなか出来ることではない。
というか、普通の人だったらたぶんやらない。
僕がお坊さんだったことは、「すきゾ!」を続けるうえでかなり大きかったと思う。
住職という仕事は、基本的にお寺と家が一緒になっているから、会社員のように毎朝家を出て、夕方に帰ってくるという生活ではない。
もちろん仕事はあるけれど、自分で時間を調整しやすい。
そして、お坊さんという仕事そのものが、ある意味では社会貢献を前提としている。
その生活と性質が、「すきゾ!」を続けることと妙に噛み合っていた。
もし僕が普通の会社員だったら、11年続いていないだろう。
今後、特定の疾患に特化したLINEグループが新しく生まれていくのかも分からない。
今はオープンチャットもある。
誰でも参加しやすく、管理する側の負担も比較的小さい。
一方で、コミュニティを立ち上げて、最初の頃の何もない状態から、運営が安定するところまで持っていくには、どうしても誰かが自分の時間や体力を削らなければならない。
そして、それを何年も続けられる人は、そんなに多くないと思う。
だからこそ、今の「すきゾ!」があること自体が、かなり特殊なことなのかもしれない。
「すきゾ!」では、定期的にWRAP講座やオープンダイアローグ講座が開催されている。
季刊誌「文藝すきゾ!」も発行している。
不定期にオフ会もあるし、そこで仲良くなった人たちが、個人的に遊びに行ったりもする。
更には、すきゾ!のお陰で研究が前に進んだり、スムーズにアンケートが集まるようになったり、各種研究機関や企業にとっても重要なグループに育っている。
こういうことは、ただ人が集まっているだけのオープンチャットでは、なかなか生まれにくいように思う。
人が集まることと、コミュニティが出来ることは、たぶん別のことなのだ。
11年かけて、ようやく僕たちは「すきゾ!」という場所を作ることが出来た。
そして今、その場所は僕が必死に支えなくても、少しずつ自分の足で立っている。
それを見ていると、11年間の苦労も、全部が無駄だったわけではなかったのだと思う。
むしろ僕がやってきたことの中で、最後に残ったのは「自分がいなくても続く仕組み」なのかもしれない。
それは少し寂しくて、でも、かなり嬉しい。
11年。
人間なら、もう小学校を卒業して中学生になっている。
「すきゾ!」も、そろそろ僕の手を離れて、自分で歩き始める年頃なのだろう。




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