
要望があって、「オープンダイアローグ」のグループを創設した。
「オープンダイアローグ」とは、フィンランドで生まれた、対話で統合失調症の回復を目指す治療法のことらしい。
対話が回復に効果があるのは、すきゾ!グループを運営していても分かる。孤立したり、感情を共有出来る相手が居ないと、症状は悪化しがちだ。
興味がある方はグループに招待するので、「すきゾ!副管理人 みぃ」まで個チャを下さい。
日本の文化に合ったオープンダイアローグ
ただ、西洋の文化的背景を知らずに、そのまま取り入れることは出来ないと思うので、日本の文化に合ったオープンダイアローグの手法を考えることも必要なことなのだろう。
ウィーンに住んでいた経験で、肌感覚で「なぜヨーロッパでオープンダイアローグの手法が生まれたか」ということは何となく分かる気がする。
医師と対等な関係
日本は医師が権威主義的なところがあって、なかなか患者と対等な目線で対話するのは難しい場合もある。
患者が「うつ何だと思います。」というと、「それを決めるのは俺だ!」と対話にすらないらない医師のことも、しばしば仄聞する。
ウィーンにいた頃は、マリファナパーティでオーストリアで有名な医師も居て、日本のように特権意識や権威主義的な雰囲気は感じなかった。
社会的な偏見の少なさ
その医師は「僕の患者には、体中にウンコを塗りながらマスターベーションをする人が居る。」という話をしてくれた。
その話を主治医にしたら、「。。。それはちょっとキツいな。。。」との感想を漏らした。
しかし、その医師は「でも、実のところ、僕はその何がおかしいか分からないんだよね。性癖だし。もし、アートフィールドで同じことをしたら拍手喝采されるでしょ?」と、家族がおかしいというから患者として見ているだけで、全く正常なのではないかということを言っていた。
確かに、ヨーロッパでは有名なアーティストがパフォーマンスとして、スーパーマーケットの中でウンコするのが喝采されていた。そういう表現が許されるのはヨーロッパ以外にはないらしい。
一緒に働いていたアーティストからは、「ヨーロッパでは、もしバスの中で精神疾患の人が殺人をしても、周りの人は冷静に行動するし、誰もその人を責めないし恨まない。その病気がそうしていることを知っている。」との例え話を聞いた。
確かに、アートフィールドでは日本だったら精神病院でしか見かけないタイプも沢山いた。皆が違うのが当たり前で、変わっている程良い個性というようなヨーロッパの文化的背景もあるのだろう。
フェアかアンフェアか?
ウィーンでは、「フェアではない」という言葉を良く聞いた。フェアかアンフェアという価値判断をとても大切にしている。
措置入院だったり、保護室に入れることだったり、身体拘束をすることだったり、日本のように患者の意思を確認せず、医師や医療機関が有無を言わせずに実行することは、患者に対してフェアではないとの意識があるのだろう。
日本的なオープンダイアローグを目指して
残念なことに、医師の権威主義、社会的偏見の強さ、フェアではない社会、というのは日本には強く根付いていて、それを変えていくのは容易ではない。
僕らが出来ることは、フィンランドのオープンダイアローグを参考にして、日本的なオープンダイアローグを開発していくことなのではないかと個人的には思っている。
対話で回復するのは、すきゾ!で証明されていることだし✨
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