アイデンティティと病と最近感じる孤独について

この記事を書いた人
ろぼ

1990年代生まれ。男性。大学在学中に発症し、2年休学。その後復学し、卒業・就職するもフルタイムの勤務は難しく、退職。1年間デイケアに通所し今に至る。2022年現在、就労移行に通所中。得意分野は工学、特にコンピュータ関連。趣味は読書、ギター、歌。

こんにちは。ろぼと申します。本ブログに初めて記事を寄せます。

昔から、自分は何者なのだろう、ということについてよく考えます。高専から大学生活の前半ぐらいまでは、優秀さがアイデンティティの大部分で、それを追求して勉強に打ち込み、成績という形でそれなりの成果も上げていたように思われますが、どこか満たされない感じがつきまとっていました。

熱心に勉強して、優秀な成績を修めて、それをもって自分は周りとは違って特別なのだ、と思おうとしていましたが、成績がいい間でさえもそれはうまくいかず、大学に編入して今まで以上に自分より優秀な人達に囲まれると、もうだめでした。他者より優越するために勉強することは、精神を安定させてはくれませんでした。

エリクソンの発達段階によれば、12歳から18歳の時期を青年期と呼び、この時期にはアイデンティティーの達成vs拡散という課題と危機があるそうです。そしてこの時期には、「忠誠(fidelity)」を獲得できるのだそうです。忠誠と言う言葉の僕なりの解釈は、まずは己に忠を尽くすということです。

優秀さを追求して勉強に多くの時間を費やし、かろうじて保っていた体面は、高専の高学年から大学時代にかけて、ぼろぼろになっていきました。僕が息も絶え絶えに送っていた大学生活を、友人たちは易易とこなしているように思えて、惨めな気持ちになりました。

そして、統合失調症の発病という人生の一大事に直面し、身体・精神の活動ともに大きな制限を長きに渡って受けました。それによって、これまでの価値観を変えなければならないという、のっぴきならぬ必要性に迫られました。勉強して、(他者よりも)偉くなるという素朴な価値観は、もう守れなくなりました。

でも、怪我の功名とでもいうべきでしょうか、僕は今、毎日晴れ晴れした気持ちで過ごしています。優秀さを追求するも心満たされず、劣等感に苛まれていた時期はどうやら終わったようです。気持ちだけではなく環境が変わったというのも大きいですが、昔よりよっぽど心が健やかです。今では勉強するとき、興味の赴くままに、知りたい気持ちが満たされることを楽しんでいます。他者より優れていることを示すためでなく、自らの知識欲を満たすために学ぶことは、気持ちがいいです。昔から、こんなふうにやれたらいいなと思っていました。覇気がなくなって、牙を抜かれたような気がしないでもないけど、歳を重ねるとガツガツしなくなって、こう、気持ちが穏やかになるものなのかな、と思います。

興味の赴くまま、知識欲を満たすために学ぶことは、自分らしいと感じます。僕は青年期の課題を克服して、アイデンティティを確立し、己に忠実であること、すなわち「忠誠」の力を身に着けたのかな、と思います。

そして、最近新たに孤独について考えるようになりました。祖母がなくなって寂しそうな祖父の姿を見ているからなのかな。毎日充実していて人間関係も良好なのに、ふとした時に虚しさを覚えます。この虚しさに名前をつけるなら孤独、となるのかなと。

エリクソンの言うところの、初期成人期を感じています。40歳くらいまで続くとされるこの時期の課題と危機は親密と孤立、だそうです。

次の機会があれば、初期成人期と孤独について考えてみたいと思います。