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ピアサポートは、もっと自由でいい

この記事を書いた人
hoshu

統合失調症当事者lineグループ「すきゾ!」の管理人。1996年に統合失調症発症。その後僧侶の資格を取得、30代で北京と3年ウイーンで1年海外生活。

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「すきゾ!」の活動は、ピアサポートと言えるのでしょうか。

そんな質問をいただいた。

そう言われると、急に、自分たちのやっていることが何かの試験にかけられているような気持ちになる。

今まで普通にやってきたことを、急に「これは何ですか?」と説明するよう求められると、人間は少し困る。

そもそも、ピアサポートとは何なのか。

調べてみると、ピアサポーターとは、自分自身の病気や障害などの経験を活かして、同じような悩みを抱えている人を支える人のことらしい。

精神保健福祉の分野では、悩みや不安を聴いたり、自分の経験や工夫を伝えたり、孤立を防いで人とのつながりをつくったりする。

なるほど。

そう言われると、たしかに「すきゾ!」にも当てはまる。

実際、「すきゾ!」には、病気や症状について相談するグループがある。

悩みを聞いたり、経験を話したりすることもある。

ところが、その一方で、ただ雑談しているだけのグループもある。

今日食べたものの話をしたり、テレビの話をしたり、どうでもいいことで笑ったりする。

「あなたたちの会話は、孤立を防ぐための支援です」

もし、そんなことを本人たちに言ったら、

「えっ、そうだったの?」

と、たぶんみんなで顔を見合わせると思う。

僕たちは、ただしゃべっていただけなのだ。

「文藝すきゾ!」では、文章を書いたり、誰かの作品を読んだりもする。

これも、誰かの相談に乗っているわけではない。

ただ、自分のことを書く。

自分の中にあるものを、文章にして外へ出す。

書いた本人としては、それだけだったりする。

そう考えると、一般的な意味での「ピアサポート」という言葉からは、少しはみ出しているのかもしれない。

でも最近、僕はピアサポートというものを、もう少し広く考えてもいいのではないかと思うようになった。

人を支えるというのは、必ずしも、その人の悩みを直接聞くことだけではないからだ。

たとえば、統合失調症になった人が、自分の経験を文章にして発表する。

それを読んだ別の当事者が、

「こんなふうに生きている人もいるんだ」

と思う。

病気を抱えながら講演をしている人を見て、

「自分も何かやってみようかな」

と思う人もいるかもしれない。

LINEグループで誰かが何気なく書いた言葉を読んで、

「分かる」

と思うだけで、少し救われることだってある。

書いた本人は、誰かを救おうなんて、少しも思っていないかもしれない。

むしろ、自分が書きたかったから書いただけ。

自分が話したかったから話しただけ。

自分が楽しかったから、そこにいただけ。

それなのに、その姿が、どこかで誰かの心に引っかかることがある。

人間のやっていることは、本人が思っているより、ずっと遠くまで届くことがあるらしい。

だから、ピアサポートというのも、必ずしも向かい合って、マンツーマンで誰かを支えることだけではないのだと思う。

話すこと。

書くこと。

創作すること。

誰かとくだらない話をすること。

そして、病気を抱えながら、それでも何かをやっている姿そのもの。

それだって、ひとつのピアサポートになり得るのではないだろうか。

「自分は誰かを支えている」と思っていない人の姿が、別の誰かを支えていることもある。

だから、「すきゾ!」の活動は全部ピアサポートなのか、と聞かれたら、僕には正直よく分からない。

そもそも、全部に名前をつける必要があるのか、とも思う。

ただ、ピアサポートという大きなものの中に、「すきゾ!」でやっていることが含まれていてもいいのではないかとは思う。

当事者が、当事者のまま、何かをする。

誰かと話す。

文章を書く。

笑う。

発表する。

作品をつくる。

一見すると、支援とは何の関係もなさそうなこと。

それが、知らない誰かのところまで届いて、その人が明日を少しだけ生きやすくなる。

そういうことまで含めたら、ピアサポートは、ずいぶん自由なものになる。

そして僕は、そのくらい自由なほうが、当事者活動には似合っている気がする。

支える人と、支えられる人。

そんなふうにきれいに分けられないところで、僕たちは今日もしゃべったり、笑ったり、文章を書いたりしている。

たぶん、そのくらいの曖昧さの中に、人を支えるものがある。

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