僕も最初だけ参加して挨拶をしたのだけど、疲労で寝落ちして記憶がない💦
とても良い感想が多かったから、季節ごとに短歌の会を開催出来ると良いな⛄
第5回読書会レポ みさき
12月3日、「そんな雑談文化部がすきゾ!」のグループ通話にて読書会が開催された。
今回は普段の読書会とは少し趣向を変え、「短歌を作ってみようの会」を行った。
やることは単純で、お題の上の句に、参加者が自由に下の句をつける。それから、集まった作品について通話で感想を語り合った。
以下に提出された歌と皆さんの感想、作者の思いなどをまとめていこうと思う。
お題① シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の
気持ちの持ちよう さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の息子の笑顔誕生日
シロクマの赤ちゃんと息子が同じ誕生日だった、という微笑ましい光景が書かれている。「産まれた」「誕生日」というように、同じ表現を二度使わないよう工夫されているのは、小説も書かれる気持ちの持ちようさんだからこそだ。字足らずの部分を〈誕生日だね〉等にして音数を合わせるのもいいかもしれない。
16ビットナカムラ さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の母は三日月みたいな目線
ナカムラさん、短歌経験者なだけあってお上手だ。「三日月みたい」という比喩でニンマリした目元のかたちと、月のような母の偉大さが表現されていて良い。シロクマの母親の息子を見つめる優しい眼差しが見えてくる。「三日月」「みたいな」「目線」とM音ではじまる言葉が連続しているのも気持ちいい。
島左近 さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の遠い昔の国と国とのご成婚実りけり
大胆な字余りの一首。後半を早口で読むと定型におさまる、リズムが面白い作品だ。「朝」と「遠い昔」の二つの時空が存在していて、タイムスリップしたかのような不思議さがある。時間軸、下の句の字余り、「実りけり」という詠嘆、すべてが混ざり合ってくらくらする読後感を生み出している。
目玉おやじ さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝のニュースの後のクマのCM
シロクマが産まれたニュースの後、CMにクマのキャラクターが出てきたのだろう。同じクマでも、片や生命感たっぷりの産まれたてのシロクマで、片やリアリティの全くない作り物のクマだ。テレビの中はそんな風に現実と虚構が入り混じっている。クマはおそらく黒色をしているのでシロクマとの色の対比も見事だ。
アキラ さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝のデザートアイスは白くまアイス
白くまアイスは九州で有名な練乳風味のアイスだ。あずきとフルーツが入っている大人気のスイーツで、私も夏はよく食べる。こういった固有名詞は、短歌の解像度をグッと上げてくれる。シロクマが誕生した日に、しかも朝から食べる白くまアイスは格別に美味しかったはずだ。
シロクマの 赤ちゃんが産まれた朝の 鏡に映るは 僕の目のクマ
「いつも仕事を頑張っているアキラさんらしい」というのは気持ちの持ちようさん談。確かに、クマができるほど一生懸命働くアキラさんの姿が想像できる。動物のクマと目の下のクマをかけつつ、嬉しいことと悲しいこと、自然界と人間界の対比になっている。場面転換が鮮やかだ。
にゃんこマン さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の雪解け水を 触れる喜び
触覚に訴えかけてくる歌だ。朝の空気感、雪解け水の冷たさ等がしっかり伝わってくる。雪解け水に触れて喜びを感じるのは、その感触がシロクマの赤ちゃんに繋がっているからであろう。主体がいる場所とシロクマとの距離については、遠くにいる派と近くにいる派で読みが別れた。また作者に聞いてみたい。
アリエッティ さん
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝のコーヒー食パン目玉焼き
シロクマが産まれるという「特別」なことと、朝ごはんを食べている「日常」を合わせたのが素敵だ。美味しそうなコーヒーの匂いがしてくるような幸せな雰囲気が漂っている。食べ物の羅列がとても愉快。音数が二音足りないので〈コーヒー食パンあと目玉焼き〉等としてみても変化が出て面白いかもしれない。
みさき
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の虹の匂いがするバスタオル
シロクマの赤ちゃんが産まれた朝の君の寝言の「サウジアラビア」
お題② ぼろぼろの筆箱の内ポケットに
気持ちの持ちよう さん
ぼろぼろの筆箱の内ポケットにへそくり隠す僕は7歳
7歳という年齢設定が絶妙だ。7歳といえば、だいたい小学二年生くらいの歳である。一年以上使った筆箱がぼろぼろになっているのは、それだけ勉強を頑張った証。子どもだから、きっと隠すへそくりも大金ではないだろう。「僕は7歳」と聞かれてもいないのに名乗るところがかわいくておかしい。
16ビットナカムラ さん
ぼろぼろの筆箱の内ポケットに丸みを帯びる前の消しゴム
「古い」「新しい」という言葉を使わずに、古びたものと新しいものの対比をしているのが見事だ。持ち主の描写はないが受験生を想像した方もいた。作者のナカムラさんは実際の記憶を思い出しながらこの歌を作ったとのこと。消しゴムに自分を投影した部分もあるらしい。そう思って読んでみるとまた、味わい深い。
目玉おやじ さん
ぼろぼろの筆箱の内ポケットに隠したカード老後の資金
金庫の中等ではなく筆箱の内ポケットに隠すという子どもっぽさと老後に備える=おそらく高齢というギャップが面白い。「隠したカード」までは少年がカードゲームのレアな一枚を大事にしまっているのかな?と思わせておいて、オチでそうきたか!となる。最後の七音でイメージががらりと変わる作品だ。
アリエッティ さん
ぼろぼろの筆箱の内ポケットに合格祈願 祖母のお守り
祖母の優しさやあたたかい気持ちが伝わってくる歌だ。「父」や「母」ではなく「祖母」なのがポイントであろう。また、主体のご両親が健在か否か、祖母が近くに住んでいるか否かによっても、このお守りの意味合いが変わってくる。読者によって思い浮かべる顔は違っても、それぞれが共感できるのが短歌の良さだ。
アキラ さん
ぼろぼろの筆箱の内ポケットにバトルえんぴつアイテムキャップ
「バトルえんぴつ」の懐かしさ。今の今まで完全に存在を忘れていたが、確かに小学生の頃、男子はそれで遊んでいた。さらに「アイテムキャップ」である。「そんなのあったなあ!」と記憶の扉をこじあけられる感覚が気持ちいい。アキラさんの童心がなければ詠めない歌だと思った。
ぼろぼろの 筆箱の内ポケットに 二人の名前を 傘と一緒に
おそらく相合傘のことだろう。相合傘に自分の名前と好きな人の名前を書くおまじないのようなことは誰でも1度はやったのではないだろうか。バトルえんぴつの歌と打って変わって秘めた恋の歌である。ぼろぼろになるまで、大切に恋心を持っている主体を想像するとなんだか切ない。
にゃんこマン さん
ぼろぼろの筆箱の内ポケットにあるお守りと 強い眼差し
眼差しは、きっとお守りをくれた人のものだろう。お守りという物質と、記憶の中の眼差しを並列の「と」で繋いでいるのが良い。期待をかけられてもそれを負担と思わずに、むしろエネルギーにかえていけるような、そんな主体の姿が見えてくる。力強くて、勇気が湧いてくる歌だ。
みさき
ぼろぼろの筆箱の内ポケットにすべて忘れて来た人生だ
ぼろぼろの筆箱の内ポケットに手紙 あなたは今東京へ
お題③ 歌という名詞 歌うという動詞
気持ちの持ちよう さん
歌という名詞歌うという動詞ヒップホップで学芸会
「歌」と「歌う」から連想されたものがヒップホップだったと作者談。最近はヒップホップを取り入れているキッズダンススクールもめずらしくないが、それでも学芸会とヒップホップの組み合わせには意外性がある。音数を揃えるために〈学芸会を〉としてみても、余韻が生まれておもしろいかもしれない。
16ビットナカムラ さん
歌という名詞 歌うという動詞 歌いたいという情動詞
熱のある言葉だ。「情動詞」という造語がとても効いている。「歌いたいという」の部分は字足らずになっているので、一拍あけることになる。それが、「歌いたい、という」という間になって、強い感情を強調している。ナカムラさん的には「結果的にアリな字足らずになった」とのこと。
目玉おやじ さん
歌という名詞 歌うという動詞 歌よりポテトなあーし
「あーし」というくだけた一人称におかしみがある。カラオケでみんなが歌っている中ポテトに夢中になっている姿を想像したという意見も出た。〈歌なんかよりポテトなあーし〉〈歌よりポテトチップスなあーし〉等としてみれば字足らずが解消できるが、このままでもとても素敵な作品だ。
さかな さん
歌という名詞 歌うという動詞 どちらも好きよ 僕らの音よ
「どちらも好きよ」は女性っぽく、「僕ら」は男性っぽく書くことでジェンダーフリーな歌にしたかった、とさかなさん。歌の内容も多様性を大事にして、包み込んでくれるような優しい雰囲気がある。歌自体も歌うということも、両方「僕らの音」として愛する。語りかけるような書き方で真っ直ぐ伝わってくる一首だ。
アキラ さん
歌という名詞 歌うという動詞 どうすりゃいいの すきゾのみんな
まさか読者側に直接問いかけてくるとは、まさにアキラさん節である。解答を丸投げする下の句は「短歌は自由である」ということを再認識させる。主体が困惑しているのが伝わってくるが、それだけでなく、笑いながら頭を抱えているような、その状況を楽しんでいる様子が浮かんでくる。
歌という名詞 歌うという動詞 歌ってみたのは どう?名シーン?
「どう?名シーン?」で「動詞」「名詞」「動名詞」とかけていて、テクニカルだ。「歌ってみた」は動画サイトに歌のカバーをあげるときによく使われる表現。一つの短歌の中に「歌」という字が3回も出てくるのが面白い。「名シーン?」と尋ねてくるのも、実におちゃめである。
にゃんこマン さん
歌という名詞 歌うという動詞 短歌という 分かちあう意詞
「意詞」という造語がポイント。短歌で気持ちが分かち合えたときの喜びが表現されている、にゃんこマンさんの「短歌観」が出た作品だ。短歌は深読みされることも多いがばっちり言いたいことが伝わったときは本当に嬉しい。この歌を読んで、素敵な気持ちをおすそわけしてもらったような、あたたかい気分になった。
アリエッティ さん
歌という名詞 歌うという動詞 こころの歌詞を 表すツール
「こころの歌詞」という書き方が詩的だ。歌というのは詞とメロディーによってなるものだが、言われてみれば私たちは歌うときに、「こころの歌詞」を表現しようとしているのかもしれない。それは自分が作った歌、他人の歌に関わらず、そうなのだと思う。いかに人間に「歌」が必要なのかが分かる。
みさき
歌という名詞 歌うという動詞 歌を歌って踊りを踊れ
歌という名詞 歌うという動詞 猫が立つとき尾は音楽だ
総括
合計二十九首。
たくさんの歌が集まった。
上の句が同じでも下の句をつける人が違えばこんなに多様な短歌になることに驚いた。
また、感想を語り合うなかで様々な解釈が生まれたのも面白かった。
言葉を通してメンバーの新たな一面が見れたことを嬉しく思う。
参加してくださった皆様、ありがとうございました。
また次回があれば、よろしくお願いします。