統合失調症 Line すきゾ!

すきゾ!に参加しませんか?
統合失調症の当事者・疑い例なら誰でも参加出来ます🎵

詳しくはこちら

そんな治験が、すきゾ!創設への想い

この記事を書いた人
hoshu

統合失調症当事者lineグループ「すきゾ!」の管理人。1996年に統合失調症発症。その後僧侶の資格を取得、30代で北京と3年ウイーンで1年海外生活。

1人でも多くの方が、希望を見いだし、心が救われますように😌 一緒に乗り越えましょう!一緒にいっぱい楽しみましょう😃

hoshuをフォローする

治験という言葉には、どこか身構えてしまう響きがある。

僕も昔はそうだった。「まだ完成していない薬を飲むの?」とか、「何かあったらどうするの?」とか。治験と聞くだけで、一歩後ずさりしたくなるような気持ちがあった。

でも、よく考えてみると、今僕たちが当たり前のように飲んでいる薬も、最初から当たり前だったわけではない。

誰かが飲んだのだ。

熱が出たときに飲む薬も、不安を和らげる薬も、眠るための薬も。昔の誰かが治験に参加して、「この薬は本当に役に立つのか」を確かめてくれた。その積み重ねの上に、今の医療がある。

そう思うと、治験というものの見え方が少し変わる。

もちろん、怖さが消えるわけではない。

人間は、自分に直接関係することになると急に現実的になる。社会のためとか未来のためとか言われても、自分の身体のこととなれば話は別だ。僕も同じだと思う。

だけど、その慎重さがあるからこそ、治験にはたくさんのルールが用意されている。説明を受けて、納得して、自分で決める。そして途中でやめることもできる。

不思議なのは、そういう仕組みを知れば知るほど、治験が特別な行為ではなく見えてくることだ。

未来の患者さんのため。

そう言うと少し立派すぎる気もする。

僕は、そういう言葉を聞くと、自分がその立派さに見合う人間ではないような気がして、少し居心地が悪くなる。

でも、未来の誰かが今の自分と同じように苦しんでいると想像すると、その人のために何かが残せるかもしれないという考えには心が動く。

病気になると、自分は社会から何かを受け取る側だと思い込みやすい。

助けてもらう側。

支えられる側。

僕も長い間そう感じていた。

けれど治験には、そんな感覚を少しだけひっくり返す力があるような気がする。

自分の経験や時間が、誰かの役に立つかもしれない。

今はまだ存在しない未来の治療につながるかもしれない。

その可能性は、思っているよりずっと大きい。

治験は、新しい薬を作るための手続きではなく、人から人へ希望を手渡していくための長いリレーなのかもしれない。

そして、そのバトンはいつも名も知らない誰かによって静かに運ばれている。

そう考えると、治験という言葉は少しだけ温かく見える。

治験グループ詳細 ~コンセプト・運営方針・マナー~
トライアド治験ネットと共同で、治験について気軽に情報交換できるLINEグループを開設しました!以下は、LINEグループの投稿より引用です。治験グループとは?統合失調症の治験について、「正しい情報を知りたい」「気軽に質問できる場がほしい」とい…
トップぺージ|治験ボランティア募集|精神科治験ならトライアド治験ネット
あなたの治療に「治験」の選択肢を。うつ病・統合失調症・双極性障害・認知症等の精神科の治験を紹介するトライアド治験ネットです。同じ病で苦しむ方、未来の患者さんのために、治験ボランティアになりませんか。あなたの協力が必要です。

コメント