
5月24日は、「世界統合失調症デー」
こういう名前の日があることを、僕は少し前まで知らなかった。知ったきっかけは、Xで見かけた「つるままや」さんの投稿だった。
タイムラインを流れていく無数の言葉の中で、その投稿だけがなぜか静かに残った。「世界統合失調症デー」そんな日があるのか、と思った。
でも、人が知らないまま通り過ぎていた時間の中にも、統合失調症と共に生きている僕たちは、ずっといた。電車に乗っている人の中にも、コンビニで働いている人の中にも、夜眠れずにスマホを見続けている人の中にも。ただ、見えなかっただけで。
統合失調症は、昔、「精神分裂病」と呼ばれていた。その名前には、どこか人を遠ざける響きがあったように思う。病名が「統合失調症」へ変わったのは2002年。偏見を少しでも和らげたいという願いが、そこには込められていたらしい。
でも、名前が変わったあとも、社会の空気が急に変わるわけではなかった。
怖い。危ない。理解できない。そういう言葉だけが先に歩いていって、その人自身の生活や孤独については、あまり語られないままだった。
だけど実際には、統合失調症の人たちは、案外ふつうに暮らしている。朝起きて、歯を磨いて、スーパーで安い豆腐を選んだりしている。調子の悪い日はカーテンを閉め切って、少し良い日は散歩に出る。誰かのLINEの返信を待って、返事が来ないだけで落ち込んだりもする。
そういう、ごく小さい生活の積み重ねの中に、その人の人生がある。
世界統合失調症デーは、何か大きなイベントの日というより、「見えなかったものを、少し見ようとする日」なのかもしれない。
SNSで何かを書く人もいるだろう。体験談を読む人もいる。ただ静かに、「そういう人がいるんだな」と思うだけの人もいる。
それでもたぶん、意味はある。
理解って、たぶん劇的には始まらない。もっと地味で、小さい。誰かの書いた短い文章を夜中に読んで、「あ、自分だけじゃないのかもしれない」と思う。その程度のことで、人は少し救われたりする。
僕自身、「つるままや」さんの投稿を見なければ、この日を知らないままだったかもしれない。でも、ひとつの投稿が誰かに届いて、その誰かがまた別の誰かへ言葉を渡していく。SNSには、そういう静かな連鎖があるのだと思う。
だから今年も、5月24日に、みんなで少しずつ言葉を置いていけたらと思う。
うまく書けなくてもいいし、立派な言葉じゃなくてもいい。
ただ、ここにいる、ということが、誰かに伝わるだけでもいいのだと思う。



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